転職やキャリアチェンジに年齢は関係ない。もし関係あると考えているのであれば、ぜひこの記事を最後まで読んでほしい。ここでは、世界で最もキャリアチェンジに成功した著名人の例を10個紹介する。
アーノルド・シュワルツェネッガーはボディビルダーからカルフォルニア州知事に
アメリカでは20代後半から30代になると人生を変えるようなキャリアチェンジを行うことが珍しくない。
典型的なのがアーノルド・シュワルツェネッガーだ。
アーノルド・シュワルツェネッガーはボディビルダーのチャンピオンから不動産で成功し、ハリウッドスターになった後にカルフォルニア州の知事に就任した。
オーストリア生まれの著名人であるアーノルド・シュワルツェネッガーは、情熱を追い求めるのに年齢は関係ないことを教えてくれる。
年齢を次のキャリアを選ぶ要因にすべきではない。
ウェディングドレスのデザイナーとして有名なヴェラ・ウォンは、かつてプロフィギュアスケーターを志した。
しかし、1968年のメキシコシティオリンピック代表に選ばれず、ヴォーグの編集者として働くことになる。40歳になり、起業家としての冒険をはじめ、今やアメリカ合衆国を代表するデザイナーの1人となった。
ローマ教皇もバーの用心棒だったことがある
現ローマ教皇であるフランシスコは、今では考えられないようなスタートを切った。ローマ教皇に任命される前、フランシスコは故郷アルゼンチンのバーで用心棒をしていたのだ。
ロックスターのミック・ジャガーから小説家スティーブン・キングまで。世界中の誰もが知っている著名人が、今では思いもよらないキャリアを歩んでいる。
ここからは、ロンドンの不動産会社SilverDoorが発表した資料を参考に、最もキャリアチェンジに成功した10人の著名人を紹介する。
世界で最もキャリアチェンジに成功した10人
目次
アーノルド・シュワルツェネッガー(1947年− オーストリア出身)
ボディービルダー → 俳優(23歳) → カルフォルニア州知事(56歳)
オーストリア出身のハリウッドスターは、実はスターになる前にボディビルダーのチャンピオンとして活躍していた。さらに、2003年には56歳でカルフォルニア州知事に当選し周囲を驚かせた。
それだけではない、意外と知られていないが、不動産の分野でも大きな成功を収めているのだ。
ハリソン・フォード(1942年− アメリカ出身)
大工 → 俳優(24歳)
俳優として活動しはじめた当初は成功せず、独学で大工を学び、役者をしながら15年も大工仕事をしていた。
その後、『スター・ウォーズ』(1977年)や『インディ・ジョーンズ』シリーズに出演しハリウッドスターとしての道を歩みはじめる。
マーサ・スチュワート(1941年− アメリカ出身)
モデル → 株のブローカー(24歳) → ライフスタイル・コーディネーター(32歳)
アメリカ合衆国トップのライフスタイル・コーディネーターになる前、マーサ・スチュワートは全く異なる2つの仕事をしていた。
大学卒業後もモデルの仕事を続け、25歳で出産後は株のブローカーをはじめた。現在は料理や園芸などライフスタイルのコーディネーターとして活躍しており、資産は日本円で400億円にもなる。
ヴェラ・ウォン(1949年− アメリカ出身)
フィギュアスケーター → ジャーナリスト(21歳) → ファッションデザイナー(40歳)
1968年のメキシコシティオリンピックでアメリカ合衆国のフィギュアスケート代表から落ち、ヴェラ・ウォンはファッションジャーナリストという夢を追いかける。
大学卒業後にすぐヴォーグの編集者として採用される。実はヴォーグにとってヴェラが史上最年少の編集者だった。
40歳になり、ヴェラはファッションデザイナーへのキャリアチェンジを決意。
サロンをオープンし、またフィギュアスケーターであるミシェル・クワンやイヴァン・ライサチェクの衣装も手掛ける。
現在は世界中でウェディングドレスの事業を展開している。
ロナルド・レーガン(1911年−2004年 アメリカ出身)
俳優 → カルフォルニア州知事(55歳) → アメリカ合衆国大統領(69歳)
1930年代から40年代にかけて50以上の作品に出演しハリウッドスターとしての成功を収める。
その後関心は政治へと向く。カルフォルニア州知事を経験した後に、大統領の座へと登りつめる。
ローマ教皇フランシスコ(1936− アルゼンチン出身)
用心棒 → ローマ教皇(77歳)
ローマ教皇に任命される前、青年時代にジョルジュ・マリオ・ベルゴリオ(ローマ教皇フランシスコ)は様々な仕事を経験した。
最も驚くべきなのが、故郷アルゼンチンのバーで用心棒をしていたことだ。
ジェラルド・バトラー(1969− イギリス出身)
民事訴訟専門弁護士の研修生 → ハリウッドスター(25歳)
映画『オペラ座の怪人』や『300』で主演したジェラルド・バトラーは、グラスゴー大学のロースクールを卒業した後に弁護士になろうとしていた。エディンバラの法律事務所で研修生として採用されたが、弁護士としての正式な資格を得る一週間前に弁護士としての情熱が薄れ退職。
25歳で別の夢として抱いてきた役者を志す。現在もロンドンに暮らしている。
ミック・ジャガー(1943− イギリス出身)
精神病院のポーター → ロックスター
世界で最も成功したロックスターであるミック・ジャガーがビジネススクールに通学し、歌手になるまで、政治家かジャーナリストとして働くことを志していたことは有名だが、通学しながらロンドンのベクスリー精神病院で患者や器具を移動させるポーターとして働いていた。
ウォルト・ディズニー(1901− アメリカ出身)
救急車の運転手(16歳) → アニメーター&映画のプロデューサー
世界で最も愛されるキャラクターを生み出した人として現在は有名だが、第一次世界大戦が勃発し、ウォルトは陸軍に入隊。16歳と若かったため戦場ではなくフランスの赤十字で救急車の運転手として勤務する。
スティーブン・キング(1947年− アメリカ出身)
クリーニング屋 → 作家(26歳)
フィクション作家になる前、クリーニング屋で働き生計を立てていた。処女作『キャリー』が1974年に含む成功作が生まれてからも初めの頃は清掃員として働いていた。
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