【本音で語る】トイ・ストーリー4の感想
「海外では高評価」でも、あえて言いたい!3つの疑問点
さて、7月12日に日本で公開された「トイ・ストーリー4」。
さっそく、仕事終わりのレイトショーで拝見してきました!
前作から9年ぶりの本シリーズ、ウッディやバズなど懐かしのキャラクターたちと久しぶりにスクリーンで再会。
さらに前作では登場しなかったボー・ピープも持ち前の可愛さだけでなく、宝塚男役スターのような逞しさを増して帰ってきました。
作品では笑いあり、前作の回想シーンなど感動するシーンもあり全体としては楽しかったかなと思います!
ただ、前作との比較だと、少し物足りない部分もあった一方で(Twitterでも賛否両論ありますね)、
後で調べたら海外の評価がすこぶる高く、このギャップにモヤモヤしたものがあるのも事実です。
※映画マニアからの評価は前作と同じですが、一般の観客からの評価は「トイ・ストーリー4」の方が高い。
そこで、「トイ・ストーリー4」で感じたモヤモヤ感の理由を4つの観点で解説します。
- 4は無理に作らなくても良かった
- テーマが散漫だった
- 悪役が弱い/泣かせどころがほとんどない
- アメリカとの評価のギャップ
①4は「無理」に作らなくても良かった
結論、3作目でストーリーとしても完結を迎えた後の4作目は難しいと思いました。
アンディ(持ち主)とおもちゃたちの関係性を描ききった後に、新しい物語をつくる難しさを感じました。
今までと同じような人間とおもちゃの関係性では、観客は満足しない。
となると、おもちゃに主体性を持たせて、今回で言えば、おもちゃが自立する話を描いた。おもちゃがおもちゃとしての任務を果たし、次の人生を歩み始める。次のおもちゃにバトンタッチする。
おもちゃの一生を見せるという意味では、非常に壮大で、そういう意味では4部作としても考えられるかと。
ただ、それを表現するには、もっとウッディとバズ・ライトイヤー、ウッディと他のおもちゃたちの関係性をたっぷりと描く、または時代設定を大幅に変え、クタクタになったウッディを主人公にするくらいのことをしないと表現として弱いかなと思いました。(「LOGAN/ローガン」のように時代設定を変える。キャラクターを老いぼれさせる。など)
最近は「ディズニールネサンス」と呼ばれる1990年代のアニメ映画を次々と実写映画化していますよね。
私も見ていますが、「面白さ」を感じることもあるものの、どれも期待値が高い一方で、それを越えないことが多くて、「無理に作っている感」がどうしてもあるのが事実です。
今回の「トイ・ストーリー4」はその気持ちをさらに強めてしまった印象でした。
妻コメント
3で終わらせても良かったな、と思ったポイントは、4ではボニーにお気に入りのオモチャとそうじゃないオモチャができていたこと。
しかもウッディが冷遇されてる。
アンディがボニーに託した思いはどうなってしまったの!?
実際の子どももそうだし仕方ないことだけど、ファンとしては、3のボニーとオモチャたちの素敵な関係性のままでいて欲しかった…
②テーマが散漫だった
テーマが散漫して何がメインストーリーなのか分かりにくかったです。
友達のいなかったボニーがスクラップで作ったおもちゃのフォーキー。
ボニーが愛するフォーキーを助け出すというストーリーではあるものの、ボニーとフォーキーの関係性ってそんなに深いのか?幼稚園に慣れればすぐ忘れ去られてしまうのでは、、、?など、あまりしっくり来ず。
フォーキーをそこまでして助け出すことの意義、そこに映画の時間を大量に費やす意味みたいなのが薄かった気がしています。
途中でボー・ピープが数年ぶりに現れますが、フォーキーのストーリーも同時に走っていて、ウッディとボー・ピープとの関係性をテーマにするには時間と伏線が足りなかったと思います。
おもちゃが所有者に捕らわれるのではなく、自由になるというテーマは興味深いものの、それもなんとなく描いた感じがする。
とにかく、散漫な感じがするんですよね。。。
妻コメント
持ち主との絆、仲間との友情、恋愛、オモチャの役割、自立など、たくさんのポイントが詰め込まれ、最後はそれぞれのオモチャが自分が一番大切だと思うものを優先する結果に。これぞダイバーシティ?
私はウッディが仲間の元を去る展開は必然だと思う。
現代は他人の為に自分のやりたいことを我慢する方が悪とされる世の中で、ディズニーは『シュガー・ラッシュ2』や実写『アラジン』でも現代的な考えを取り入れてる。
私はそういう作品の作り方は時代の流れとして受け入れている。でも、現代的な考えさえ取込めば、「素晴らしい作品!」「高評価」となっているようでそこに不満。
ストーリーの作り込みとか、もっと力を入れるべきポイントがあったのでは?
③悪役が弱い/泣かせどころがほとんどない
今までの「トイ・ストーリー」シリーズは悪役が際立ってました。
シド・フィリップスとか最高に悪者で、勧善懲悪が叶った時のカタルシスを感じる瞬間があったのですが、本作品では際立った悪役がおらず、勧善懲悪も起こらず、少し拍子抜けしたものがありました。
また、泣きどころがほとんどない。
唯一あったのは前作までのフラッシュバックシーンでしょうか。「トイ・ストーリー」=「大人の男でも泣く映画」という期待があったので、そこの期待を超えて欲しかったーー。
妻コメント
ギャビー・ギャビーは、たとえ動機に同情の余地があるとしても、拉致監禁、人質をとっての脅迫など、笑って許せない点が多い。
それが、サラッと良い側に回り、サラッと報われる。それで良いのか?とモヤモヤした。
とか言いつつ、ギャビー・ギャビーが報われるシーンはうるっときてしまったけどね…
アメリカとの評価のギャップについて
まず、毒にも薬にもならない話だけど、前提としてどんなところにも良いところと悪いところがあって、見る人よってどちらかの印象が強く残ってしまうことがあると思う。
アメリカでは先に紹介したように、批評家からも一般の観客からも凄く高評価であることから、内容がすごくウケたんだろうね。
「アナ雪」、「シュガー・ラッシュ」、実写版「アラジン」など"旧来の役割に捉われず自立して生きる、自由に生きる"といった生き方を推奨している作品の一つとして、「トイ・ストーリー4」も受け取られ、高評価を得たのかもしれない。特に、おもちゃは人間の所有物であるために、そのインパクトは大きく、反響もよかったのだと思う。
妻コメント
アメリカで高評価なのに日本で賛否両論ある原因は、国民性の違いかなと思っている。
4ではそれぞれのオモチャが自分個人が優先したい道を選ぶ結果になった。
例え仲間と違う道を歩む事になっても、それは仲間を裏切ることになならないし友情も変わらない。個人の意思が尊重されるべきだ。という考え方なのだと思う。
アメリカの観客はそれに共感し、高く評価しているのでは?
一方で、日本ではウッディが1〜3で言ってきたように、「仲間といることの幸せ」という考えがまだまだ根強く残ってる。集団意識というか、他人のために自分が犠牲になる精神。
ジブリの宮崎駿監督が何かの番組で「自己犠牲が作品の重要なテーマでありこだわりだ」と語っているのを聞いたことがあるけど、日本の賛否両論はそういう違いなのかなと。
最後に
「トイ・ストーリー4」は今まで原案や製作総指揮だったジョン・ラセターが諸事情で途中で抜けたという経緯のある作品。ジョン・ラセターの原案は問題が起こってから3/4を女性脚本家のステファニー・フォルサムにより修正されている。
ストーリーは1作目から関わっていたアンドリュー・スタントンが共著しているけど、ここは予想でしかないけど、海外の情報に触れる限り、おそらくステファニー・フォルサムが書き換えたものに対するアドバイザリーのような役割だったと思う。今までのシリーズとの整合性を確かめるなど。
ステファニー・フォルサムが抜擢され、3/4を執筆したことが、ボー・ピープが非常に自立心のある女性だったことや、この作品のテーマ性に何かしら影響が出ている気がします。
妻コメント
凄く良い人そうな顔して平気で罪を犯したり、むしろ罪を犯しているという意識さえない人(すごくストレートに言うと偽善者)の方が大衆に好まれるような「良い話」が書けるのかも、と思った。
ボー・ピープのキュートさに終始打ちのめされた!!!
さて、難点もあげましたが、細かいギャグシーンなどツボにはまることも多く、声を上げて笑うこともありました。
「泣きたい」と思って観に行くと少し期待を外れる可能性がありますが、「笑いたい」という期待には応えてくれる作品だと思います!
また、個人的に印象に残ったのは、ボー・ピープの可愛さ。魅力あるキャラクターがいると2時間の映画も十分楽しめるものです。
最近のディズニーの女性キャラクターは自立心のある強いマインドを持っているケースが多いですが、ボーもその例に漏れず、自立心のある女性でした。
この投稿をInstagramで見る
今年のディズニー・ハロウィーン仮装では、"ボー・ピープ"コスが流行る!と思いました。
この投稿をInstagramで見る